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botanical piece —— アートと自然のあいだで出会った、新しい植物を愛でる。

自然にはつい触れてしまうのが人間

無機質なコンクリートは、誰もわざわざ触りたいとは思わないですよね。だけど自然はどうだろう。風に揺れる葉っぱも、足元を固める土も、なぜか触れたくなる。子どもを見ていると、それはとても顕著だ。

触れることに、理由なんて多分なくて。きっと、本能なのでしょうね。

いつもの道で出会った“新しい植物”

いつもの道を、いつも通り歩く日もあれば、初めての道を歩く日もある。注意深く「いま」を生きているときもあれば、愚かなことに、まるで上の空で、ここではない過去か未来のどこかを彷徨っている日もある。

そんないつもの道の散歩の途中で、私は一つの“新しい植物”に出会ったのでした。いや、正確にいうと「新しい植物のふりをしたアート」。と言っておこう!

その名も botanical piece(ボタニカルピース)。名前がずるいくらい、やわらかい。耳馴染みも良く、ぶっちゃけて言ってみるとベタな感じ。笑。しかしながら、有りそうで無い?のも気に入って、初購入してみた。

アートのふりをした植物、植物のふりをしたアート

実際に自然のそばに置いてみた。



これはアートなのか、植物なのか。むしろ「アートのふりをした新しい植物」なのかもしれない。

作品のサイトには、こんな言葉が添えられていた。

花束を渡すように
愛を込めて
ここに描かれた花は
枯れることはありません……

あなたが選んだ
その花の花言葉は
あなただけが知っている…….

ああ、これは外側に飾るための花じゃなくて、内側に寄り添って、灯してくれる花なんだなぁ!と、ますます気に入った。

「自然」と呼ぶものが変わりつつある時代に

私たちの生活にすっかり溶け込んだAIは、もはや「特別な技術」ではなく、日常の一部になりつつある。

AIすらも自然と呼ばれる日が来るのではないか?そんなことをふと思う。

いつも忘れがちなことだけれど、森や海や川や樹々だけでなく、すべての植物、岩、風、空、雲、雨、雪、小石。自分を取り巻く、自分以外のあらゆる“いのちの気配”は、本当は誰もが感じているもの。

そして、自分が自分だと思っている、この身体さえも、自然という大きな循環の一部にすぎない。わたしたちこそ自然なのです。人間は特別ではない。

心の中に咲く botanical piece

それでも「心」だけは、やはりまた別な気がしてならないのですが、その心を枯らさないように、そっと味方でいてくれる存在になりそうです。

心の中に咲く、わたしだけの botanical piece に、どんな花言葉を付けようかと考え中。

“これはアートですか?”
“これは植物ですか?”

「これはアートであり、植物であり、私の心です。」なんて愛おしく思う気持ちを大切にしながら、丁寧に生きていきたい。

新しい相棒を胸に、今日もまた、いつもの道を歩いていこうと思う。

この記事を書いた人

駒田商店

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